『資本論』の導入部分にあたり、上述のような用語、概念、またそれらの関係を正確に把握することが『資本論』を読み解くうえで欠かせない、のだろうが、細部の理解・了解はさておき、ざっくりと読んでみたという感じ。
『資本論』の基礎部分をなすだけあって、深く堅牢な作りになっている。安易に要約や抜粋ができるような感じではない。
附録として「経済学批判序説」が掲載してある。マルクスの“生産=消費”についての理論については吉本隆明が度々引用しているが、直に書かれている箇所をいくつか引用して自らの参照としたい
「生産は直接にまた消費でもある。主体的かつ客体的な二重の消費である、すなわち、生産することでその能力を発展させる個人は、また生産の行為でこの能力を支出し消耗するが、それは、自然的生殖が生命力の消費であるのとまったく同じことである。第二に、生産は生産手段の消費であり、生産手段は使用され消耗されて、一部分は、一般的な諸元素にふたたび分解される。同じように、生産は原料の消費でもあり、原料はその自然の姿と性状のままではいないで、むしろなくなってしまう。だから生産の行為そのものは、すべての要因でまた消費の行為でもある」
「消費は直接にまた生産でもあるが、それは、自然界において諸元素や科学的諸成分の消費が植物の生産であるのと同じである。たとえば消費の一形態である食物の摂取によって、自分が自分自身の肉体を生産することはあきらかである」
「消費は生産を二重に生産する。つまり、消費においてはじめて生産物は現実的な生産物になるのだから。たとえば衣服は、着るという行為によってはじめて実際に衣服になる」
「消費が生産を生産するのは、消費があたらしい生産の欲望を創造し、こうして生産の前提であるところの、生産の精神的な、内部からこれをおしすすめる根拠を創造するからである。消費は、生産の衝動を創造する、またそれは、生産において目的を規定するものとして作用する対象をも創造する。生産が消費の対象を外側から提供することがあきらかであるとすれば、このことから、消費が生産の対象を、内的な像として、欲望として、衝動として、また目的として、精神的にうみだすことも、同じくらいあきらかである。」
「したがって生産は、消費の対象、消費の仕方、消費の衝動を生産する。同じように、消費は、生産の目的を規定する欲望として生産者にうったえることによって、生産者の計画を生産するのである」